次第に迫ってくる危機を救うため、年かさの篠田少年は隊長にかわって悲痛な声をふりしぼって、退却の命令を くだしました。
少年たちは、負傷者をいたわりながら、広い湿地帯にはいると、いつのまにかお互いの連絡を失ってばらばらに なっしまいました。それでも篠田少年のまわりには二十人ちかくの隊士が一団となって固まっていました。少年たちは崖をよじのぼり、谷間を下り、追われるようにして戦場からしりぞいていきました。
新政府軍をさけながら新堀の洞門をくぐりぬけ、やっとのことで飯盛山の中腹にある、厳島神社の境内までたどりつきました。いつか雨もやんで雲のきれまから、かすかな日の光がもれていました。
城の方からはさかんに砲声がきこえてきます。篠田少年はみんながそろうのを待ってまた疲れた足をひきずりながら、新堀に沿って歩きました。しばらくいくと、飯盛山の中腹に松林があって、みはらしのきく場所をみつけたので少年たちは新堀をわたってそこによじのぼりました。
体験したことのない凄まじい戦闘と、敗走、睡眠不足と少年たちは疲れ切っていました。
そして、高台からみた鶴ヶ城は黒い煙につつまれ、五層の天守閣の白壁には赤い炎が燃えさかっているようにみえました。また、ほんど火の海となった城下からは、絶え間なく砲声と銃声がとどろいています。
少年たちは予想もしなかった この光景に思わず息をのみました。命とたのむ鶴ヶ城も もはや、落城の運命かと思うと全身の力が一度に抜けていってしまうような悲しさが、少年たちの胸にこみ上げてきました。
「城を枕に討ち死にするつもりでここまできたが、もうお城へ入ることはできない。すべてはおわったのだ。」
一人がこういってがっくり首をたれました。
すると傷ついた一人がいいました。
「このままぐずぐずしていれば、敵の手にかかって後の世までも恥じをさらすようなことになるぞ」
「そうだ、最後まで会津の武士らしく、いさぎよく、みんなここで切腹しよう。」
こうして、少年たちは、遥かにお城をのぞむといずまいをただし一礼してから自刃しました。
少年たちの静に閉じたまぶたのうちにはなつかしい父や母の姿がまた、可愛らしい妹や弟の顔が、そして楽しかった数々の思い出が、美しくうかんでいました。
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