年代(年号) |
事 柄 |
1189
(文治5年) |
源頼朝が奥州 の藤原氏を滅ぼすと、佐原義連は会津盆地一帯を、山内通基は大沼郡と伊北郷を、長沼宗政は会津郡の南山を、河原田盛光は伊南郷を与えられました。 |
1294
(永仁2年) |
五代葦名盛宗によって黒川に諏方神社が建てられました。 |
1335
(建武2年) |
六代葦名盛員は北条時行の乱に味方して足利尊氏と戦い、子の高盛とともに討死にしたので、高盛の弟直盛が七代を継ぎました。 |
1384
(至徳元年) |
葦名直盛は小高木(小田垣)に館をつくり、東黒川館と名づけました。(現在の鶴ヶ城の前身) |
1543
(天文12年) |
十六代葦名盛氏が山内、河原田氏降し、約100年の間各地で争った会津地方もここで戦乱の終止符を打ち、盛氏に従うようになりました。 |
1586
(天正14年) |
十九代亀王丸が3歳で病死し、常陸の領主佐竹義重の子義弘をむかえることになりました。 |