鶴ヶ城城址公園
武士の時代を、ほぼそのままの姿で今に伝える
「史跡 若松城跡」
鶴ヶ城城址公園は約69,000坪の敷地内に、本丸を中心に天守閣、茶室などの建物が再現されています。内堀より内側のエリアは、戊辰戦争当時の縄張がほぼ残されていて、昭和9年(1934)に国の史跡に指定されています。
公園内には約1,000本のソメイヨシノの桜が植えられ、「桜の名所100選」に選ばれています。そのほか多くの植栽があり、春から夏にかけては木々の緑に包まれます。そして秋には紅葉に色づき、冬には雪化粧を纏った鶴ヶ城をご覧いただけ、四季折々に風光明媚な景色を楽しめる歴史公園になっています。
鶴ヶ城城址公園のみどころ
武者走りむしゃばしり
このV字型の武者走りは全国的に見ても珍しく、若松城の特色の一つでもあります。昇降するための階段が張り出さないように、石垣に並行して取り付けられています。
天守台の石垣てんしゅだいのいしがき
天守台の石垣は今から約400年以上前の、蒲生氏郷の時代に造られたものです。自然石を加工せずにそのまま積む「野面積み」と呼ばれ、緩やかな傾斜は直下地震にも耐え、天守閣と一体となった美しい姿で魅了します。
高石垣(扇の勾配)たかいしがき(おうぎのこうばい)
蒲生氏郷の築城当時はこちら側が追手口で、入城する者を威圧するかのような、東日本でもトップクラスの高石垣を見ることができます。
廊下橋ろうかばし
以前はこちらが追手口で、正面にふさわしい立派な橋がかけられていたようです。その名が示すように、屋根の付いた橋だったのではないかと考えられています。明治以降も何度か架け替えられ、現在では鮮やかな朱塗りの欄干となっています。
太鼓門たいこもん
北出丸から本丸に通じる大手門。藩主の登城や非常事態などの際に叩かれる、直径五尺八寸(約1.8m)の大太鼓が置かれていたことから、太鼓門と呼ばれています。
表門(鉄門)おもてもん(くろがねもん)
鉄門(くろがねもん)は、鶴ヶ城の本丸に通じる正面玄関です。 木製の扉と柱が鉄で覆われていることから「鉄門」と呼ばれ、追手側から見て天守閣の裏側にあることから、戊辰戦争の籠城の際には城内でもっとも安全な場所とされていました。
茶室麟閣ちゃしつりんかく
千利休の子・少庵が会津にかくまわれた際に建てられたと伝えられる茶室です。茶室を眺めながらお茶をいただくこともできます。
鐘撞堂かねつきどう
時守を置いて昼夜時刻を報じていた堂。戊辰戦争の籠城戦の際にも、時守はこのお堂の鐘を撞いて、時を報じ続けました。
本丸跡ほんまるあと
現在は芝生広場となっていますが、江戸時代までは殿様たちが暮らしたり、役所的な機能を持つ建物が一帯に展開していました。
御三階跡ごさんかいあと
本丸内唯一の高層櫓。建物は市内の阿弥陀寺に移築され、今も大切に保存されています。
馬洗石うまあらいいし
本丸南側土手のそばには藩主が乗るための馬がつながれていて、馬の渇きをいやすための巨石がその様子を伝えます。
月見櫓跡つきみやぐらあと
月見櫓は二重の櫓で、中には武器などが収められていました。月を見る絶好の場所でもあったことからこのような名が付けられたと伝えられます。
茶壺櫓跡ちゃつぼやぐらあと
茶壷櫓は二重の櫓で、中には重要な茶器類や武器が収められていました。廊下橋の側面の守りとしても重要な櫓でした。
横矢がかりよこやがかり
本丸南側の、月見櫓から干飯櫓までの外側の石垣は、一直線ではなくジグザグに積まれています。敵が下から登ろうとするところを側面から攻撃するための工夫です。
荒城の月碑こうじょうのつきひ
有名な『荒城の月』は、仙台出身の詩人、土井晩翠が仙台城(青葉城)と会津若松の鶴ヶ城をイメージして作詞しました。そのことが講演会で語られたことをきっかけに、晩翠直筆の歌詞を刻んだ石碑が建てられ、ご本人を招いて除幕式が行われました。
萱野国老殉節碑かやのこくろうじゅんせつひ
戊辰戦争の責任を取るため、会津藩は家老上位三名の首級を差し出すことになりましたが、戦死などにより謹慎していたのは萱野権兵衛一人でした。明治2年5月18日(1869年6月27日)、結果的に彼だけが会津藩の責任を負う形で、江戸で自刃しました。
鶴ヶ城喫茶つるがじょうきっさ
鶴ヶ城にある喫茶店です。季節によって違うご当地グルメやプレミアムソフトクリームなどを提供しています。無料の休憩スペースもございます。散策の休憩にぜひご利用ください。
観光案内所かんこうあんないじょ
鶴ヶ城公園内にある観光案内所です。各種パンフレット取り扱いの他、ボランティアガイドとレンタサイクルの受付も行っています。